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制作は、生きることそのもの。

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いま、実家にいる。母の介護のためだ。 老人ホームをいくつも見て回った。そこには、時間がゆっくりと沈んでいくような光景がある。 入居者たちの佇まい、そして、少しずつ何かを手放していく母の姿を見ていると、どうしようもなく感情が揺れる。 人がゆっくりと何かを失っていく姿を、こんなふうに近くで見ることになるとは思っていなかった。 母はもともと強く何かを望む人ではなかったが、家族には優しかった。その母がいま、ほとんど何もしたがらない。 悲しい、という言葉では足りない感情になる。 人はこうして「欲望」を失っていくのか、と考える。 そんな中で、自分の中に一つだけ、まったく衰えないものがある。 制作意欲だ。 何かをつくりたいという欲望だけが、異様なほどに残り続けている。 それは義務ではなく、衝動に近い。 そして、それこそが自分にとっての「生きる喜び」だと、あらためて思う。 今年2月、武蔵野美術大学でひとつの展示をつくった。 視覚伝達デザイン学科の有志による写真展「ref²」。 講師として関わり、キュレーションを担当した。 この展示は授業の枠内ではなく、あくまで授業外で行ったものだ。 教育的な成果として完結させるためではなく、もっと個人的な動機から始まっている。 普段、自分は作家として作品をつくる側にいるが、このときは他者の作品と向き合い、並べ、関係をつくる側に立った。 選んだのは5人の若い作家たちだ。 彼らの作品には、まだ言葉になりきらない衝動がある。 うまくいくかどうかもわからないまま、それでも出てきてしまう何か。 その強さがあった。 それは、いま自分が直面している「何も望まなくなっていく時間」とは、あまりにも対照的だった。 だからこそ、この展示は単なる教育の一環ではなかった。 結局のところ、自分自身のためにやっていたのだと思う。 彼らは、まだ生きることと、つくることがまだ直結してないように思えた。 その最初の火を、どうすれば消さずにいられるのか。彼らに何かを教えるというよりも、その火が消えないように、場を整えることを大切にしたつもりだ。 この展示「ref²」の記録をまとめたWebサイトが、ようやく完成した。 もっと早く出したかったが、時間がかかってしまった。 それでも、この展示に流れていた空気や時間は、きちんと残っ...