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胡屋きょうゆう会の島袋清史さん

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  2日目は、胡屋きょうゆう会の島袋清史さんを訪ねた。 集会所には長寿の方々の写真が並び、神に捧げる供物が準備されていた。 祈りの文化やノロの話、地域の記憶を丁寧に教えていただく。 千葉出身だと話すと、市原で働いていたという話で距離が一気に縮まった。 作品にも興味を持ってもらえた感触があった。 ただ、「ちゃんと考えて進めた方がいい、いい加減な奴もいるから」という彼の言葉が残った。 この場所で何が現実的にできるのか、10年ぶりに来た私にはまだ把握できていない。 そして、このプロジェクトの実行はそう簡単ではない。 帰りぎわに基地のゲートにカメラを向けると、基地から出てきた白人の老人に「NO」と強く制止された。 このゲートを越えると日本ではなくなるのだなとあたらめて思った。 こうして、約10年ぶりの沖縄リサーチはいったん終わった。 ここからどう形にしていくか。 まだ何も決まっていないが、確実に何かは動き始めている。

約10年ぶりにコザへ。

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  約10年ぶりにコザへ。 1日目。 2015年の個展以降、Manda-la projectはコミッションワークが中心だったが、 ようやく、自分の国内 project の最終ゴールへ向かってのリサーチ。 今回は、自分のやりたいことよりも、コザの人たちが何を望んでいるのかを聞くところから始まった。 久しぶりにコザ暴動があったGATE2を見た。 地元のフィルムオフィスの方々の話によると、映画「宝島」の撮影を手伝いはしたけど、GATE2を当時の様子を再現するのには1週間は必要だったが、警察から降りた許可は2日だけ、結局は都内のスタジオで撮影したらしい。 また、基地内の撮影許可も在日米軍領事館は許可を出してくれたが、本国ペンタゴンの許可は映画公開後の現在も降りてないということだ。 また、コザにおいても過去の出来事の扱いには現地の方々の心境も踏まえると慎重な空気もあり、なかなか地元でのリアルな表現は難しいということだった。 久々にあった地元の元観光大使の大城さんは、今回は宇佐美のやりたいことでなく、地元に寄り添った企画を考えようと言って案も出してくれた。前回は、米軍基地に内で、米軍兵と島民を一緒に撮影する交渉をしていた。また、地元の人々の声を聞かずに私のやりたい方向に作品を向け過ぎていたように思った。 今回は、まず地元の人の声に耳を傾け、流れに身を任せることから始めようと思う。 そして、批判でも賛成でもなく、「コザそのもの」をどう写せるかを考えてみたい。

制作は、生きることそのもの。

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いま、実家にいる。母の介護のためだ。 老人ホームをいくつも見て回った。そこには、時間がゆっくりと沈んでいくような光景がある。 入居者たちの佇まい、そして、少しずつ何かを手放していく母の姿を見ていると、どうしようもなく感情が揺れる。 人がゆっくりと何かを失っていく姿を、こんなふうに近くで見ることになるとは思っていなかった。 母はもともと強く何かを望む人ではなかったが、家族には優しかった。その母がいま、ほとんど何もしたがらない。 悲しい、という言葉では足りない感情になる。 人はこうして「欲望」を失っていくのか、と考える。 そんな中で、自分の中に一つだけ、まったく衰えないものがある。 制作意欲だ。 何かをつくりたいという欲望だけが、異様なほどに残り続けている。 それは義務ではなく、衝動に近い。 そして、それこそが自分にとっての「生きる喜び」だと、あらためて思う。 今年2月、武蔵野美術大学でひとつの展示をつくった。 視覚伝達デザイン学科の有志による写真展「ref²」。 講師として関わり、キュレーションを担当した。 この展示は授業の枠内ではなく、あくまで授業外で行ったものだ。 教育的な成果として完結させるためではなく、もっと個人的な動機から始まっている。 普段、自分は作家として作品をつくる側にいるが、このときは他者の作品と向き合い、並べ、関係をつくる側に立った。 選んだのは5人の若い作家たちだ。 彼らの作品には、まだ言葉になりきらない衝動がある。 うまくいくかどうかもわからないまま、それでも出てきてしまう何か。 その強さがあった。 それは、いま自分が直面している「何も望まなくなっていく時間」とは、あまりにも対照的だった。 だからこそ、この展示は単なる教育の一環ではなかった。 結局のところ、自分自身のためにやっていたのだと思う。 彼らは、まだ生きることと、つくることがまだ直結してないように思えた。 その最初の火を、どうすれば消さずにいられるのか。彼らに何かを教えるというよりも、その火が消えないように、場を整えることを大切にしたつもりだ。 この展示「ref²」の記録をまとめたWebサイトが、ようやく完成した。 もっと早く出したかったが、時間がかかってしまった。 それでも、この展示に流れていた空気や時間は、きちんと残っ...

展示の成果

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  岡本太郎現代芸術賞展が幕を閉じました。  展示が終わると、あの濃密だった空間は解体され、形としてはなくなります。作家がどれほど熱量を注いでも、展示という事実は過去のものになり、装置としての役目を終えれば、何も手元に残らない寂しさだけが残ります。 けれど、今回の私には手元に残ったものがありました。「お手紙プロジェクト」を通じて届いた、11枚の直筆の手紙です。  作家が作品を通じて鑑賞者に影響を与えるように、鑑賞者の言葉もまた、作家を形作っていきます。  思えば、学生時代の卒業制作の時もそうでした。現在の「Manda-la」の原型となる、身近な人々を撮影した作品群を展示した時のことです。美大の仲間や親族、バイト先の子、教習所で知り合った看護師さん、近所のおじいちゃん。年齢も職業もバラバラな20名ほどを被写体にした展示でした。  その時、置いておいたメモ帳に残されていた匿名の一言が、私の人生に深く刻まれることになります。   「あなたの写真にはあなたしか写ってません」  その残酷な言葉は、当時の私を憤慨させ、失望させ、長い間考え込ませ続けました。けれど、四半世紀が経った今、その言葉は私の中で全く違う輝きを放っています。「どんな人を撮っても、自分しか映らないなんて、俺はすごい」と。長年続けていくうちに、解釈が変わる言葉もあるのです。  そして今回、そんな過去の記憶を呼び起こすような、不思議なメッセージに出会いました。  「うさみさんへ みんな生きている人間で面白かったです。 みほ」  ぎこちない筆跡で書かれた、この短い言葉。 正直に言えば、言葉としての正確な意味はわかりません。  けれど、この一文は、私の心の奥深くを揺さぶり、離れない「装置」であり続けています。写真は、言葉で説明し尽くせるものではありません。言葉の力を超えて、何かが伝わってしまう瞬間にこそ、その真価があると思っています。  みほさんの言葉も、それと同じでした。理屈や意味を飛び越えて、私の創作の根底にある「何か大切なもの」を、真っ直ぐに射抜かれたような感覚。  「みんな生きている人間で面白かったです。」  展示という空間はなくなっても、こうして残った言葉が私のそばにあり...

努力と結果の不思議な関係

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 「 努力と結果の不思議な関係、そして救い。」 昨年、美術館で開催した個展。その節にお世話になった東広島市から、宅配便が届きました。 開けると、ワニか蛇の皮のような、どこか懐かしい模様の筒。 中には市長からの感謝状と、寄贈した作品のリスト、そして温かなメッセージが添えられていました。 実は、今回寄贈した作品群は、メインの巨大なプロジェクトの傍らで、会期までの残り2ヶ月、猛烈なスピードで形にしたものでした。 メインの作品には、予算も、時間も、すべてを注ぎ込み、自分や周囲の精神的な負担も多大でした。 けれど、広い美術館を埋めるには、その1点だけでは足りなかった。 東広島の酒造り、自然、などを、赤瓦を軸に展開した作品群。 世界中の「午前8時15分」を繋いだインスタレーション。 戦中戦後の腕時計の傷跡から持ち主の記憶を辿る写真。 これらメインでない作品群は「時間がなかったから」と言えばそれまでですが、すごいスピードで夢中でシャッターを切り、制作中に誰も苦しませることはありませんでした(図録の締切で学芸員さんをハラハラさせたこと以外は……笑)。 いざ蓋を開けてみると、観客の方々の「好きな一枚」は見事に分かれました。 あんなに苦労したメイン作品と同じくらい、あるいはそれ以上に、急ピッチで仕上げた作品たちが誰かの心に深く刺さっている。 「努力と効果は必ずしも比例しない」という事実は、常に一枚に時間をかける私にとって、少しの戸惑いと、大きな発見を与えてくれました。 正直、今回の個展では動員数の数字を見ては「市に多大な協力をいただいたのに」と申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 けれど、こうして感謝状をいただき、作品が市民の皆さんの財産として末長く残っていく。その事実に、ようやく自分を許せた気がします。 小学生の頃に賞状をもらった時のような、純粋な喜び。 作品たちが東広島の地でこれからも誰かと対話を続けてくれる。 作家として、これ以上の幸せはありません。

アラーキーとのグループ展

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出張ついでに、友人の桑田くんがシンガポールの美術館   The Private Museum   で開催中の展覧会   Human Being Human: Selections from the Collection of John and Cheryl Chia   をレポートしてくれた。 美術館は繁華街から少し歩いた住宅街の中にあるらしい。彼が現地のスタッフに「今度、展示中の宇佐美と花見するんだ」と話したら、軽く笑われたそうだ。 送られてきた展示風景の写真を見ていると、和装の女性が縛られているイメージが目に入った。桑田に聞くと、やはり   荒木経惟   の作品だった。 今回の展示で、日本人作家は私と彼の二人だけだという。 高校生の頃、美術部だった私は雑誌「太陽」で彼の写真に出会い、強い衝撃を受けた。それ以来、ずっと意識してきた存在でもある。日本の写真を象徴するような時代を作った作家のひとりだと思う。 そんな作家と同じ展覧会に並ぶことになるとは、当時は想像もしていなかった。 本当に、人生はどう転ぶかわからない。

2回目の敗北

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昨日は岡本太郎賞の搬出、そして今日もまた2日目の搬出に向かっている。  昨日、不意にスタッフの方から声をかけられた。 「宇佐美さん、※『お気に入りを選ぼう!』で2位だったので、記念品をお渡しします。2位なんて、まさに作品の力ですね」そう言って手渡されたのは、エコバッグと太陽の塔のソフビだった。  以前も書いた通り、今回の太郎賞は「特別賞」という、自分にとっては非常に悔しい結果に終わった。 正直に言えば、今でも全く納得はいっていない。審査員の個人的な感情や好みが反映される世界だとは理解しつつも、到底飲み込めるものではなかった。  そこに追い打ちをかけたのが、来場者による人気投票「お気に入りを選ぼう」の結果だ。 なぜか会期半ばの3月8日時点で締め切られ、発表された私の順位は「2位」。  審査員の評価だけでなく、一般来場者の総意という数でも、私はトップに届かなかったのだ。 総投票数は過去最多の9461票。美術館の方によれば、1位とは相当なデッドヒートだったらしい。  大勢の視線に晒され、その結果としても「1番」になれなかった。 傷口に塩を塗り込まれるとは、まさにこのことだ。  「きっと、日本人の見る目がないのだ。世界へ出る男は、そう簡単に理解されるはずがない」  そう自分に言い聞かせてみた。 人生は、長い旅なのだ。 ※第29回TARO賞入選作品の中から、ご来館の皆さまにお気に入り作品を投票していただきます。 投票の結果は、当ホームページで発表するとともに、上位の作家には記念品を進呈します。 https://www.taromuseum.jp/event/ 「第 29 回 taro 賞」関連イベント %E3%80%80 お気に入りを選ぼう